「画集・大森朔衞美術館」/大森朔衞 著/大森利佳 編纂

¥3,850

大森朔衞さんについて

※以下に掲載した画像の一部には、本画集に収められていないものも含みます。

※以下の紹介文は、編纂を担当された大森利佳さんによるものです。

●第1室。生い立ちから戦争まで。親に勘当され上京し美術学校に入学するも学費が続かず中退。アルバイトで生活しながら公募展入選を重ねます。高松の実家にあった100点を超える絵画は空襲で灰となり、戦前の現存作品は『讃岐路豊穣』のみ。戦前に長野県の友人が購入し、戦後、別の絵と交換することで朔衞の手元に戻りました。裏書は、西部三十二部隊 演習にて。修復家のレントゲン撮影によって栗林公園の『そてつ』の絵の存在が明らかになりました。香川県知事賞(審査委員長は猪熊弦一郎氏)を受賞した『木船建造』も絵葉書から掲載しています。左側後ろ姿の画家は朔衞自身。親友の画家・木村忠太が「お前、描くの早いなあ」と毎日のように見に来ていました。1941年12月初旬、太平洋戦争が始まったとき、朔衞は高松池田屋デパートで初個展を開催中でした。3度目の召集令状にてインドネシア・スマトラ島へ。1945年8月25日(南の島なので10日遅れの知らせ)に終戦を知ったその夜、自決。偶然、戦友が発見し麻酔なしの手術で一命をとりとめ、翌年6月に帰国。高松に戻り、全ての絵の焼失と母親の死を知ります。近所の人からの情報で、兄嫁の実家へ行き、兄と再会し、ようやく手に入れた紙に『復員の自画像』を描きます。

 
復員の自画像 Self-portrate of veteran 1946 


讃岐路豊穣 Laxuriance of the Sanuki 1942

●第2室では戦後・新宿に住み、自由美術会員となり、山口薫氏らの誘いでモダンアート会員第一号となります。画風も抽象の影響がうかがわれます。

 

●第3室では結婚によって東京・府中に住み一男一女に恵まれ、行動美術協会に移籍します。1960年、毎日新聞社主催の現代美術展でK氏賞受賞(Kは鎌倉近代美術館のこと。現神奈川県立近代美術館の前身)により、画商開催の個展により絵で生活することができるようになりました。「抽象と具象の間を振り子のようにいったりきたりしている・・」と朔衞自身も絵について語っています。



 
陸Land1960 神奈川県立美術館所蔵 K氏賞受賞作品

 
湖A Lake A 1961

 
島 Island 1964

 
陸 Land 1965

●第4室。念願の渡欧。横浜から船で、ソ連を経由しパリへ。サン・ルイ島の屋根裏部屋をアトリエとします。木村と朔衞が再会したときには、忠太はパリで成功していました。東京では、家族3人が帰りを待っています。子供が描いた朔衞の似顔絵、木村忠太の朔衞に宛てた手紙なども掲載しています。帰国後、渡欧作品を中心に個展を重ねました。

 
裸婦 パリにて Nude,of Paris 1969

 
上流 Upstream 1970

 
対岸(わが窓より) Confronted shore(from my window) 1979

 
木村忠太氏からのカード

●第5室は、晩年に至る大作と、絶筆まで。1980年には武蔵野美術大学油絵学科教授に招かれました。若い美学生との交流は楽しかったようです。   

 
市邑 Cityscape 1992


1993.5 小豆島土庄町にて

 
1993.5 丸亀町立猪熊弦一郎現代美術館前にて  

発売元:求龍堂

B5変形 並製本カバー掛け 168ページ
100作品収録
日・英バイリンガル
2015年7月27日発売