府中のアトリエにて


背景は、戦争で作品も画材も焼失した父が、神田で入手した戦闘機用のベニヤ板で作ったパレットです。とても軽く、晩年まで愛用していました。長年の油絵の具により、本人の絵のような色合いに・・。(大森利佳)

大森朔衞(19192001)洋画家

 作品一覧 

1919年生まれ。香川県小豆島、高松で育ち、12歳の頃に画家になる決意を固め、14歳で大原美術館を訪問。18歳で上京。日本美術学校入学。公募展入選・受賞を重ね、1941年高松池田屋デパートにて初個展。応召。スマトラ島で敗戦を迎え、翌年高松に復員し全作品焼失を知る。再び上京し、新宿にアトリエを建てる。自由美術会員・モダンアート協会会員(第一回会員努力賞受賞)を経て行動美術会員。日本国際美術展および現代日本美術展(1960年K氏賞受賞)招待。みずゑ準賞受賞。1955年に結婚、府中市にアトリエを移し制作活動を行なった。1968年から70年渡欧。元武蔵野美術大学教授。美術館収蔵作品多数。2001年府中市にて逝去。

私たちの友人である大森利佳さんとのご縁で、洋画家の大森朔衞(おおもりさくえ)さん(1919〜2001)の画集をご紹介させていただいています。編纂を担当された大森利佳さんにお話を聞きました。「洋画家・大森朔衞の印象的な人生のエピソードとともに独特の風景世界が広がる画集です。80年前、初の個展開催中に太平洋戦争が始まりました。自決という壮絶な終戦体験から奇跡の生還。美術館収蔵作品、アトリエの様子、親友・木村忠太氏のパリからの手紙、武蔵野美術大学教授時代の思い出、亡くなる数時間前の右手プリントなど掲載し、第5室までの構成となっています。手に取れば『美術館』が始まる。そんな気持ちで画集をご覧いただけたら幸いです。」

「私の武蔵美時代の友人大森利佳さんは、卒業後22歳の時に1ヶ月二人でヨーロッパを旅した大切な友達。この時にお父様が以前パリで住まわれていた家を見に行ったことが懐かしいですね。また、私が学生の頃、利佳さんの卒業制作を私の車で利佳さんの家に届けた際、お父様がちょうどいらして一度だけお会いできたことがありますが、画家の家の空気というものに自分がとても緊張してしまい、妙にあせってご挨拶をさせていただいたことがありました。大森朔衞さんの作品は、一言で言うととても研ぎ澄まされた洗練された世界だと私は思います。最近も利佳さんと展覧会で絵を拝見しましたが、古びない感性とはこういうことなのだなと強く感じました。一体どこからこの感覚は生まれてくるのでしょう。その帰りにアトリエにおじゃましましたが、お父様が亡くなられた後も、そのままきちんと保管されている利佳さんの姿に接し、こころが熱くなりました。大森朔衞さんは、戦争でのとても私が想像できないほどの体験と失望を超えて、溢れ出る才能で新たに絵に向きあい、家族をつくり、その娘と私は親しくさせていただいている。娘は父の画集とweb美術館をつくり、この素晴らしい才能を伝えている。自分のやるべきこととは何か、私などは自分でわからなくなる時があるけれど、この父と娘は常に志をまっすぐにもっているのだと思います。娘の利佳はどれほど父を尊敬してきたことか。そんな利佳さんをみていると、前述の22歳のヨーロッパ旅行の少し前に父を亡くした私も、尊敬する父を想い胸が熱くなるのです。」アピスとドライブ ディレクター 今井クミ

 大森朔衞ウェブミュージアム、大森朔衞オフィシャルウェブサイトはこちら
www.omorisakue.com

大森朔衞さん略年譜

1919年 香川県・小豆島土庄町生まれ
1922年 対岸の高松市に一家で移る
1933年 倉敷・大原美術館で西洋絵画に出会う
1937年 画家を志して上京
1938年 日本美術学校洋画科に入学
1940年 第10回独立美術協会展入選(公募展初入選)
     以後、自由美術家協会、新制作派協会などに入選出品
1941年 高松池田屋デパートにて第一回個展
1943年 高松東北部の造船所で描いた100号「木船建造」を以下に出品
     香川県総合美術展(栗林公園商工奨励館)県知事賞受賞
     大日本海洋美術展(東京都美術館)受賞一席 海軍協会賞受賞
1944年 三回目の召集令状によりスマトラ島へ
1946年 南方より復員、戦災で全作品が焼失
1949年 新宿余丁町に小さいアトリエを建て移る
     自由美術家協会 会員となる
1950年 モダンアート協会が結成され会員として参加
1951年 モダンアート協会創立第一回展、会員努力賞を受賞
1955年 結婚と同時に、府中市にアトリエを建て、移る
1957年 モダンアート協会を退会 以後、2年間無所属
1958年 行動美術協会出品 翌年より会員
1960年 朝日新聞社主催第11回選抜秀作美術展招待出品
     毎日新聞社主催第4回「現代日本美術展」招待出品、K氏賞を受賞(以後第五回招待出品)
     第二回みずゑ賞選抜作家展 みずゑ準賞を受賞
     グループ「同時代」結成
1961年 毎日新聞社主催第六回「日本国際美術展」招待出品、(以後第七回招待出品)
1962年 国立近代美術館「近代日本の造形・絵画と彫刻展」出品
1964年 神奈川県立美術館「戦後の日本美術展」出品
1965年 国立近代美術館「戦中世代の画家展」出品
1968年 渡欧、パリ・サンルイ島在住(70年に帰国)
1969年 毎日新聞社主催第九回「現代日本美術展・現代美術20年の代表作」出品
1980年 武蔵野美術大学教授に就任 富山県の依頼で、「富山を描く100景展」の現地取材
1982年 フジテレビ「テレビ美術館・大森朔衞特集」出演
1983年 富山県立近代美術館主催「富山を描く100景展」出品
1988年 武蔵野美術大学主催「大森朔衞教授展」
1990年 府中市主催「大森朔衞作品展」 武蔵野美術大学教授退官
1999年 行動美術協会退会 以後、無所属
2001年 府中市内の病院にて死去(82歳)
2002年 府中市美術館主催 「府中市ゆかりの美術家たち展」出品
2003年 香川県文化会館主催「記憶の中に刻まれた風景展」展示
     名古屋画廊「森芳雄追悼文集」(大森朔衞と森芳雄先生のエピソード掲載)発行
2004年 武蔵野美術大学主催「館蔵油彩画展」武蔵野美術大学美術資料館
      「大森朔衞AtoZ展」名古屋ギャラリーイナガキにて開催 

2005年  「大森朔衞WEB美術館」公式ホームページ オープン
2010年 妻・雅子死去
2011年 府中市平和宣言二十五周年記念誌 いまあの時代を伝えたい」
     (復員の自画像と戦時中のエピソード掲載)府中市文化スポーツ部より出版
2012年 富山県立近代美術館「パリに学んだ画家たち展」
               パナソニック4K海外向け映像「日本の美しいもの」アトリエ紹介
2015年 府中市美術館主催「武蔵府中炎の油画家5人展」

     求龍堂より初の作品集「画集・大森朔衞美術館」(大森利佳 編纂・アートディレクション)出版
     ドキュメンタリー映画「渚にて」上映 法政大学OB橙門会展会場
2018年 府中市生涯学習センター講座「芸術と人間」大森朔衞の生きた時代
     半世紀近く制作活動を行った府中市内アトリエを資料映像とともに紹介
     ドキュメンタリー映画「渚にて」上映
2019年 香川県立ミュージアム 県展にて・生誕100年特集展示
     愛媛県玉川近代美術館「創立者徳生忠常氏のコレクション展」
     高松市美術館主催「黎明期の高松市美術館展」
2020年 高松の宮脇書店 戦後75年「画集・大森朔衞美術館」フェア開催
     ケーブルメディア四国「たかまつハッピイDデイズ」書評コーナーで紹介
2021年 今治市玉川近代美術館「開館35周年記念 玉美コレクション展」