私たちにとって初めての実店舗となる鎌倉店を開店してから、およそ1ヶ月。出会いって、つながるから楽しい。あらためて、そんなことを感じる出来事がありました。当店でも著書『引頭佐知さんのだし取り教室』を扱わせていただいている料理研究家の引頭佐知先生とお話をしている時に、同じく当店で商品を扱わせていただいている和歌山で棕櫚(しゅろ)のたわしをつくられている高田耕造商店さんのお話になったのです。引頭先生からは「2017年頃でしたか、こめみそしょうゆアカデミーという食の会で高田耕造商店の高田大輔さんと同じテーブルを囲みましてね。」お話は高田さんの故郷、和歌山県海南市の棕櫚山再生プロジェクトによる町興しのことから始まりました。「棕櫚のたわしの幅広い使い途、優れた洗う力、繊維が水に強い性質のため丈夫で長持ちするなど勉強になるお話を、たくさん聞かせていただいたのです。」私たちのお店は、これまでの自分たちと人やモノとの出会いを大切にしたくて始めた小さなお店ですが、その中の引頭先生と高田耕造商店さんとの間にも、ご縁がありました。そのことが嬉しくて、久しぶりに東京・世田谷にある引頭先生のお家を訪ねました。
 
引頭先生の料理教室には以前、当店のディレクターの今井が通わせていただいていたのですが、お教室はあの頃と変わりなく、木を大切にしたなんとも落ちつける空間でした。今井は友人たちと通った料理教室と、教室終了後の飲み会(時には朝まで!)の楽しさを思い出して嬉しそう。引頭先生のお話です。「日本料理の教室ですから根菜の洗い方、木製の調理器具の洗い方は不可欠でして、説明上手な高田さんのお話に前のめりに。その後すぐに、実演販売をされているとお聞きした新宿伊勢丹に向いました。まず初めに驚いたのは、棕櫚そのものの美しさ。近所の庭で見かける棕櫚とは別物の輝きを放っており、製造の場での手数の多さを想像しました。職人さんの作業は、まず棕櫚の繊維を2本の針金の間に挟み、厚みを帯状にして均等に揃えます。そこから両手の指先の腹を左右に添えて繊維の先をツンツン、ツンツンと整えながら幅を乱さず直線に揃えていく手作業。機械任せで作られていると思い込んでいた私は、たわしひとつにこんなに手間をかけているなんてと素直に感動しました。」和食の料理研究家としてだけではなく、コピーライターやPR誌編集の仕事経験をお持ちの引頭先生のお話はライブ感たっぷりで、その語り口に思わず引き込まれてしまいます。

先生のお宅に着いたら、まず梅サワーをいただく。
疲れがとれる〜。

 お茶や調味料は、きっちり整理整頓。達筆な文字で美しい景色。




教室を始める前は、和食のケイタリングの仕事をされていた先生。

アルバムの写真は、某モデルハウスでの料理だそう。


お料理教室では、手書きのレシピが配られる。美しい。


ダイニングルームには先生の幼少期の写真も。


キッチンはグリーンが特徴で、天窓からの明るい光が気持ちいい。


おみやげにもいただいた、ちらし寿司。しみじみと美味しく、これがあたたかい先生の味。
お米がふっくらつややか。揚げや根菜、生姜の滋味深い味がたまらない。


 長年使っているたわしを説明。楽しい、楽しい、明るくチャーミングな先生。


たわしのお話は続きます。「でき上がったたわしを、どうぞ!と手渡されて掌に載せたときのホワンとした感触。たわしとは思えないやわらかさでした。そこで、職人さん(大輔さんの弟の尚紀さんでした)から、「上に手をのせて、ギュッと圧し潰してみてください。すごくしなりますから」と言われて圧したときのしなり方は、当時つかっていたパーム椰子のたわしとは確かに違ってました。再び作る過程を見せていただきながら、私は大輔さんのお話を思い出していました。 〜自然のたわしの素材には棕櫚とパーム椰子の2種類がありまして、棕櫚のたわし繊維の先を触ってみるとわかりますが、痛くない、やさしい。しかも、これは棕櫚の繊維の特徴なのですが、ものすごくしなります。そのしなりを利用して洗います。
〜  さっそく私が試したのは、おひつや杓文字にこびりついた米粒やぬめり落とし。これはスポンジでは落とせません。もちろん、いままでもたわしを使っていますが、この棕櫚のではどうだろう。しなりを利用しながら木目に沿ってこすると気持ちがよく、短時間でスッキリと落とせました。食後の片付け仕事が短時間で済むのはうれしいこと。私はたわしへの見方がすっかり変わり、まるで新しい道具を見つけたかのような嬉しさを覚えました。」


軽快なおしゃべりと、この笑顔が生徒みんな大好き。

先生愛用の髙田耕造さんの、たわし。なんとも美しい。


台所と道具についても、引頭先生にお聞きしました。「私の台所には、炊飯器も電子レンジもフッ素加工のフライパンもありません。炊飯器の代わりにご飯を炊くのは文化鍋、土鍋。蒸し物は中華せいろか和せいろ。煮物はアルミ、フライパンは鉄製。昔ながらの日本の調理道具ばかりです。自分の好みで選んでいると思ってましたが、今思うと祖母と母の影響がかなり強いんですね。面白いなと思ったのが、母と祖母の台所を片付けたときのこと。2人の遺した道具の種類がほぼ同じでした(母はお菓子作りが趣味だったため、パンや菓子用の道具がありましたが)。いくつかのすし桶、すり鉢、使い込まれた巻きす。梅干しの甕、梅酒などの保存瓶等など大切に思うものが同じでした。感激したのは祖母の杓文字やへら。手製のものもありで、料理好きだった足跡がうかがえるものでした。母は、家族のための食事づくりを、まるでそれが仕事のように手抜きをせず真剣にこしらえていました。さらに食品添加物にとても敏感だったため、市販の加工品はほとんど購入しない手づくり派。おやつやパンもテンピ(ガスコンロ上置き式のオーブン)で焼いていました。ボウルや食器もプラスチックなど石油系のものは使わない。洗剤は用途に応じてクレンザー、台所用固形石鹸、塩、糠(油落とし用)でした。祖母や母のような真似はできませんが、わたしも市販の加工品の添加物には敏感で、買い物は表示を確かめる、プラスチック製品はなるべく(なるべくです)使わない、などちょっぴり時代から取り残されたような台所と道具で過ごしています。若い生徒さんには不便なのかもしれませんが、なんとか教室は続いています。そうそう、祖母の台所の水屋には未使用のたわしが2つ残されていました。」引頭先生の丁寧な台所仕事の根底には、そんな環境と遺伝子があったことを知ります。

人参は泥付きも洗い人参も皮をむかずに調理することが多いので、たわしで洗います。
このドーナッツ型のたわしなら傷を付けずに洗えるので安心。しかも手で洗うよりも早くてきれいですよ。

 

あらためて、たわしについて伺います。「昭和30年代までは、どこの家の台所にもひとつはあった、たわしですよね。そのたわしから化学繊維を使ったスポンジやナイロン不織布のたわしなどへの移り変わりというのは何があったのでしょうか。それは、公団住宅の誕生です。その公団住宅のダイニングキッチンに設置されたのがピカピカに輝くステンレスの流し台でした。それまでの一般家庭の流し台の素材は、タイル、コンクリート、ブリキ製のものが多く高さも低く、水回りの問題も含めて、台所のイメージは明るいものではありませんでした。という訳でステンレスの流し台の登場により公団住宅ブームが起こるほどでした。昭和30年後半~40年代の婦人雑誌の記事を思い起こしてみても、料理ページには華やかな洋風料理が増え調理器具や食器もカラフルな洋食器やプラスチック製品の占める割合が増えるにつれ、洗い用の道具は前述のスポンジやナイロン不織布などが主流となり、一時的に、たわしは『洗い』の仕事を譲り渡してしまったかのように見えました。しかしどっこい、日本人の身体に合う和食は生き続けており、さらにうま味が磨かれています。おのずと日本の木製の調理器具のすばらしさも見直され、その洗いのために、たわしは、日本の台所には、なくてはならない存在となっています。おひつ、すし桶、中華せいろ、和せいろ、鍋蓋、杓文字、竹ざる、菜箸、まな板などの木製の道具、すり鉢、おろし金、また昔ながらのフライパンや中華鍋などの油落としも、たわしなら秒単位。たわしに勝る便利なものはありません。(※以上の器具は、すべて洗剤は使わないで洗います)。日本の台所では、たわしでなければならない活躍の場があり、引っ込まれては困ってしまうたわし。今なお現役で働いてもらっています。自然素材の天然棕櫚は丈夫そのもの。クレンザーや熱湯にも強い万能の洗い道具なのです。ひとりでも多くの方に、限りある自然の本物の道具を使える幸せ、大切さに気付き、触れてほしいと願っています。」

泥付きごぼうは軽く泥だけを落とすの。皮をけずるのじゃなくね。
シンクの底に置いて廻しながらだと余計な力がはいらなくていいの。

 
出会いを大切にしたくて始めた当店ですが、その中でも、ご縁がつながり広がっていく。小さな店ですが、これからもそんなお店になれたらいいなと思っています。


引頭佐知先生の著書『引頭佐知さんのだしとり教室』
https://apis-and-drive-shop.com/collections/book-movie-music/products/dashitori

 

髙田耕造商店「しゅろのやさしいたわし」など
https://apis-and-drive-shop.com/collections/takada


 



店主:後藤国弘

12月 03, 2022 — 後藤国弘