先日のこと。12年前に旅立った友人の十三回忌に作った本を囲んで、彼への想いを寄稿してくれた仲間たちと偲ぶ会を開きました。奥さんとご家族の皆さんのためにと思い作った本が、文章を寄せてくれた皆さん自身(僕も含む)を温かく包んでくれる。その漢・鵜久森徹くんのことを話しながらみんなで笑って泣いて、とてもいい時間になりました。僕はその本の中で、彼が亡くなってからの不思議な体験のことを書きました。今回は、その文章を少し短く修正して紹介させてもらいます。

ーーー ウグと僕は歳も生まれ月も同じで、それぞれの故郷から上京し、紆余曲折ありながら著名なピーライターの事務所で経験を積んでから独立。TCC(東京コピーライターズクラブ)の新人賞を受賞したのも一違いという、よく似た境遇で。だからお互いどかにライバ識のようなものを抱えていたのだと思います。葬儀の時に彼の師匠だった広瀬正明さん(今頃きっと天国で会っていますね)から「後藤くんも弔辞を読んでね」と言われ、僕も弔辞を読ませていただくことになりました。お葬式が出会いの場にもなって、彼のお父さん、お母さん、妹さんとのお付き合いにつながるという、いもしなかった関係が始まることになったのです。

ウグが亡くなる少し前から僕は年に一度、全国の三越と伊勢丹を取材で回る仕事をしていました。彼の故郷である愛媛の松山にも三越があり、せっかく松山に行くのだからお墓参りをさせていただきたいと、妹さんに連絡を取らせていただいたのが最初です。それからは年に一回は松山を訪ねてお父さん、お母さん、妹さんと食事をさせていただいた後で(お父さんには、毎回たっぷり飲まされました。笑)ウグが好きだったレミアム・モルツの缶ビールを2本用意して、一緒にお墓参り行くのが恒例になりました。

彼は亡くなってしまっていて、僕は生きてしまっていて。そんな同じ歳の男が毎年やって来て、お墓参りだけならしもご家族と一緒に食事をしながら、いろいろなお話をさせいただく。ウグのことも、ぜんぜん違う話も、笑ったりもしながら。心の奥で申し訳ない気持ちになっている僕でしたが、お父さん、お母ん、んの温かさに甘えながら、やがてみんながその日を楽しみにするようになりました。考えてみれば、彼が生きている時には微妙で複雑なライバル意識もあって近くにはじられなかったりしたことも、彼が旅立ってしまってから始まったご家族とのお付き合いを通して、ウグのことを近くに感じられるうになった。こんな不思議な体験は、これまでにはなかったこす。ご家族の皆さん、コロナ禍以降ばらく松山に行けてませんが、これからもよろしくお願いしす。待ち合わせは、三越のライオンの前ですね。ーーー

こんなふうに書かせてもらった中に登場する彼のお父さんが、昨年の9月に旅立たれました。松山でのお通夜と告別式に僕も参列させていただきましたが、ウグの奥さんの手によって、刷り上がった本を棺の中に納めることができました。今頃どこかで、父子で一緒に読んでもらえているといいなと思います。(店主:後藤国弘)

3月 01, 2026 — 後藤国弘